新しい場を作れば民衆の心が動くというわけでもない
3 月 16, 2007 on 3:15 pm | In moth |(以下カウンターメディアとかフラ板とかエネルギーの高い人とかが混ざった話)
■安定、不安定
カウンターメディアがメディアになるしかないとすると、
カウンターメディアであるという状態はむしろ不安定といえるだろう。
blogだってインストールの方法が難しかった頃は
それなりの知識とモチベーションを持った人だけが書いてたけど
無料ブログサービスによって敷居が下がってきた頃になると
ブログを書くのに知識もモチベーションもいらなくなった。
フラ板も、歴史とか名声とかがなかった頃は
純粋に作るモチベーションの高い人だけがフラッシュを作ってたけど
イベントが回数を重ねてフラ板が知名度を持ってくると
その力を借りていろいろやろうと考える人が現れる。
前者の状態の方が、エネルギーの高い人が集まってるわけだから
確かに場のクオリティも高い。
ただ、blogを始める敷居は高いよりは低い方がいいし
フラ板も有名な方が多くの人に見てもらえていいわけだから
いずれは場が後者の安定した状態に移行してしまう。
■場の一生
知識人はエネルギーの高い人が集まる知的な場を好む。
けど、そもそも『エネルギーの高い人が集まる場』ってのは
要するに『エネルギーの低い人が近寄らない場』だから、
不便なら不便なほどいい。
だから知識人はエネルギーの高い人が集まるように新しい場を作るけど、
ここにエネルギーの高い人が集まるのは場の仕組みが良かったからじゃなくて
場が不便だからエネルギーの低い人は近寄れないってだけの話。
こんな風にして新しく場を作ると、
まずはハイレベルな人や素早い人が寄ってきて、
いつかのフラ板みたいに一瞬だけ輝く。
でもこれは不安定な状態。
そしてその場が成熟して敷居が下がってくると大衆が入り込み、
『今回もダメだった』って折角作った場を捨てるのはいつもの事。
少しくらい場の仕組みが良かった所で、
その場の利用者に大衆が加わった時点で
場のルールや機能が大衆の使いやすいように書き変わってしまう。
そりゃ大衆は多数派だから、少数派の知識人はこの流れに太刀打ちできない。
結局、知識人は大衆を振り切るためだけに将来捨てるだけの場を作り続け、
腐ってしまった今までの場を振り返って嘆くしかない。とても滑稽。
知識人の去ってしまった場に至っては、
目先の利益が欲しい人がやりたい放題。
そして始まる過去の栄光の叩き売り。もう見るも無惨。
■場の使い捨て
ところで、あるメディアにエネルギーの低い人が集まるようになると
彼らは悪意を持った踊らせ師に入り込む余地を与えてしまう。
もし煽動巻き起こる場がもはやカウンターメディアとは呼べないならば、
カウンターメディアの条件は『踊らせ師が入り込んでいない』ってなる。
でもそれってそもそも『エネルギーの低い人が集まらない』と等価だと思う。
カウンターメディアがカウンターメディアのまま大きくなり、
大衆が心を動かされ、頭が良くなるって
そもそも『俺の話だけ聞け!悪者の話は聞くな!』レベルの話。
その状態が理想なのは分かるけど
それを追い求めるために新しい場を作り、古い場を捨ててきたのが知識人。
今までいくつもの場を使い捨ててきたのは、
そんな都合のいい可能性を求めた結果なの?
私は知識人の肩は持たないので、知識人がどうするべきか、
知識人がどうやって大衆を導いていくべきかについては考えてあげません。
ただ、場はいずれ知識人に使い捨てられる運命にある以上、
もうネットの可能性とか2ちゃんの可能性とかフラ板の可能性とかよりも
一般大衆の可能性とかあしぷろさんの可能性とかを考える方が
有意義なのは確かだとおm
フラ板を使い捨てるのはそれはそれでもったいない気もする、
ってのは個人的な感傷かもね。
しっぽのブログ - メディアが結局負けない理由
http://tail.s68.xrea.com/blog/2007/03/post_81.html
(ってURLを書くとトラックバックが出来るのでしょうか?)
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